認証企業事例紹介

医薬品サプライチェーンの一端として、社会的責任を担う富士化学工業株式会社(富山県中新川郡)

富士化学工業株式会社は、1946年創業の原薬・医薬品メーカー。2021年より代表取締役社長を筆頭とする部門横断的な体制のもと、事業継続計画を刷新。ハード・ソフトの両面から人命に関わる商品の安定供給体制の整備を進めてきた。その取り組みが高く評価され、2024年1月に「DBJ BCM格付」に基づく融資が実施されている。先頭で指揮をとられてきたお二人に、取り組みの目的と成果、今後の展望などについてうかがった。

戦後の復興を目指し、「創造と奉仕」を志に創業

西田様インタビュー写真

まずは貴社のこれまでの歩みと企業理念について、お聞かせいただけますか。

西田
当社は昭和21年に創業しました。戦地から帰国した祖父が焼け野原になった富山を見て、「どうせ拾った命だから、これからは世のため人のために尽くしたい」との思いで始めたそうです。社是は「創造と奉仕」。「創造」は新しいものにチャレンジすることを意味し、「奉仕」は人々に役立つことを指します。この志を父と私が受け継ぎ、従業員たちと力を合わせて体現してきました。

スプレードライなどの技術は、まさに“創造”の賜物ですね。

西田
ありがとうございます。あれは1965年に当社が日本で初めて医薬品用に設備を導入したもので、現在においても有機溶媒まで対応している企業は世界でもほんのわずかです。「どこもやっていないことをやろう」というのは、今もって当社に息づく企業文化だと思いますね。
西田様インタビュー写真

※微細化した液体を熱風中に噴霧し、瞬時に溶媒を蒸発させて紛体を得る造粒法

事故処理の失敗が、従業員の危機感を呼び起こす

金尾様インタビュー写真

そんな貴社が、BCMに注力するきっかけは何だったのでしょう?

西田
10年ほど前に、海外の取引先からBCP(事業継続計画)の作成を求められたのが始まりです。ただ当時はその重要性がよくわからず、ただ求めに応じて見様見真似でつくったというのが正直なところです。しかし2020年に起こったコロナ禍でさまざまなサプライチェーンが寸断され、医薬品業界も安定供給問題が取りただされるようになりました。そんな折り、工場内で運送業者さんのタンクローリーに穴が空いて硫酸の霧が立ち込めるという事故が起こりました。休日だったこともあり、適切な初動対応がとれず周辺にまでご迷惑をかける騒ぎとなってしまったんです。かたちだけのBCPは全く機能しなかった。この失敗が、大きな転機となりました。

失敗を糧にされたということですね。具体的にはどのような見直しを行ったのでしょう?

西田
日本経済研究所様にコンサルティング頂きながら、一からBCPを見直しました。ただ、ペーパー上でどれだけ精緻なものをつくっても、その通り行動できなければまた同じ失敗を繰り返してしまう。全社をあげた訓練をやろうということになりました。
金尾
事故があったことで従業員の中でも防災意識が高まっていたので、みんな前向きに取り組んでくれました。初回こそ白い歯を見せる従業員がおりましたが、社長から「危機感をもって臨もう」との厳しい激励もあって(笑)、回数を重ねるごとに意識や動きが向上していくのがわかりました。今は年4回実施しています。
金尾様インタビュー写真

能登半島地震での対応に見た、進化と成長の手応え

西田様、金尾様インタビュー写真
西田
何より、私が本気であることを伝えなければと思ったので、少々厳しくなりました(笑)。そしてもう一つ重視したのが、たとえ私や金尾が不在であっても指揮系統がスムーズに取れる体制づくりです。その成果を実感したのが、まさに先だっての能登半島地震でした。何しろ元旦でしたから私も金尾も近くにはいなくて、少し遅れて本社に到着しました。すると、もうホワイトボードには必要な情報がびっしり書き込まれていて、すぐに優先順位をつけられる状態でした。先に駆けつけたメンバーでそれぞれの役割を決めて、機動的に行動していたんです。
金尾
お客様や機械メーカーさんとの連絡もすでに取れていて、私たちが気づかないところまでしっかりフォローしていましたね。おかげで地震の影響を最小限に食い止められましたし、5日からほぼ通常通りの稼働もできました。まさに取り組みの賜物だったと思います。

サプライチェーンに対する取り組みはいかがですか?

西田
原薬の大半は海外からですが、安定供給の観点から原薬をできる限り複数のソースから調達できるようにしていますし、原薬製造の内製化も進めています。また、お客様やお取引先も含めて、私どもで用意した安定供給に関する点検項目に対して定期的にご報告いただくようなスキームもつくっています。今は情報公開に向けた準備の真っ最中です。
西田様、金尾様インタビュー写真

人命最優先で、社会への責任を果たし続ける

BCMに取り組むことで、何か副次的な効果などはありましたか?

西田
コロナ禍の間、当社の製造が止まれば多くの方に影響が及ぶことを痛感しました。そしてその経験によって、判断や行動を社会的な損害をベースに考えるようになりました。BCMの計画や推進にあたっては、日本経済研究所様のご指導で、優先順位の付け方がさらにクリアになったと感じます。また、今回このような評価を頂いたことで、私だけでなく従業員たちにも大きな自信と励みになったと思います。
金尾
恥ずかしながら以前は、責任者がいないと工場内に救急車を呼び入れるのさえ躊躇するようなことがありました。今は優先順位と判断プロセスが明確になっているので、人命最優先で全員が行動しますし、何より従業員一人ひとりが自律的に動くようになったと感じますね。

最後に、今後に向けた課題や展望をお聞かせください。

西田
BCMの取り組みにはそれなりのコストがかかります。しかし、経営の安定性とお客様からの信頼の維持向上のためには避けて通れない必要投資だということを、今回の事故や地震で確信しました。
これからの課題は、私や金尾をはじめこれらを経験した人間が将来社内にいなくなっても、現在の緊張感や問題意識を維持させることでしょうか。「喉元すぎれば」という言葉がありますが、「鉄は熱いうちに」という言葉もある。意識の高い今が最大のチャンスととらえ、できることに最大限取り組んでいきたいと思います。

(聞き手:サステナブルソリューション部長 木村 晋)
※役職等は取材当時(2024年6月)のものです。