コラム
国連環境計画・金融イニシアティブ 特別顧問 末吉 竹二郎氏
Whatより、Whyを!
SDGsが花盛りである。街中に17色のカラフルなバッジが溢れ、まるでブームである。
ブームはいつしか萎み忘れ去られる。SDGsがいつか来た道を辿らぬためには何が必要か。
何事もそうだが、新しい事が始まるときには、その背後には必ず“Why do we do it?”という動機や問題意識が存在する。当然、SDGsにもそのWhyがある。然るに、昨今の日本のSDGsへの取り組みを見ていると、そのWhyを語ることなく、皆がやるから自分もやる式でいきなり何かをし始めている。“What do we do now?”だけしか頭にはないようである。
こうしたWhyを問わずにWhatに走るパターンは日本特有のものだ。かつてのCSRブームがそうであった。CSR講習会場は参加者が溢れ、俄かCSR信奉者に豹変したビジネスはWhy抜きでWhatに専念した。その結果はご覧の通りである。立派なCSRレポートとは裏腹に肝心なCSR経営は未だに心許無い。仏作って魂入れずに終わっているのは残念である。
では、SDGsのWhyは何だろう。それは、「様々な地球的課題が人類社会を危険水域に向かわせている今、それを食い止め、持続可能な社会を実現する」ことである。その為には、貧富、人権、人種、ジェンダー等の埋めがたい格差や不衡平、更には、地球環境や生物多様性の破壊等の諸問題を生んでしまった成長至上主義の経済モデルや社会システムそのものを転換しなければならないとの危機感が皆の背中を押したのだ。それ故、国連はSDGs文書の標題*に意図をもって“Transforming our world”を掲げたのではなかろうか。
*正式の標題は、Transforming our world: the 2030 Agenda for Sustainable Development.
その昔、グローバルコンパクト(2000年)を生み、MDGs(ミレニアム開発目標。2001年~2015年)を導いたコフィ・アナン国連事務総長は、世界経済フォーラム(ダボス会議、1999年)に参集した世界の経済界のリーダーを前にこう訴えた。「グローバリゼーションの恩恵を最も受けた皆さん、そのグローバリゼーションが多くの弊害を引き起こしているのを知っていますか。問題を生み出すグローバリゼーションはやめてください」と。この彼の指摘こそ、MDGs、そして、それに続いたSDGsの本質を表しているように思う。
さて、ブームが続けばいつしか核心に迫ることも可能となろう。だが、SDGsが求める変革のスピードを考えると、悠長に構えているわけにはいかない。諸問題に早く手を打たないと元へ戻れぬTipping pointを超えてしまうからだ。それと同じく、日本が注意すべきは、SDGsが生み出す新たな国際競争である。今や、地球社会の問題解決自体が、国や地域やビジネスにとって次の飛躍のためのチャンスとなり、そして、リスクになってきたのだ。そうした中で、Why 抜きで目先のWhatに走る日本であっては、根底からの問題解決を目指して本格的な経済モデルや社会システムの入れ替えに取り組む世界には勝てない。循環型経済を目指すEUを見て欲しい。日本のビジネスや社会がこの国際競争に負けるとしたら、それは日本にとって大きな不幸である。無論、世界にとっても。
今、世界は転換期にある。こういう時こそ、立ち止まり、大きな世界観をもって心静かに世の行く末を考える時である。
2019年5月
※役職等は対談当時のものです。